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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

2017/12  戦国大名高山右近の生涯と信仰
 ある会合がカトリック中央協議会で行われました。会合が終わり1階の事務所のカンタ−に印刷物がありました。その中に「高山右近」についてのパンフレットがありました。高山右近が福者とされ、その列福式が昨年2月7日に大阪城ホ−ルで行われた、という内容でした。

 福者とは聖人に列せられる前の状態です。列福を受ける人は神への謙虚な信仰生活が認められ尊敬されて、その人の信仰故に教会がとりなしを認めて、信仰者が福音的信仰生活を送ることが出来る、ということです。

 例えば日本では12月3日は「フランシスコ・ザビエル記念」となっています。福者とか聖人と認められるためにはロ−マ教皇庁の厳格な審査があります。それはその人の信仰がどうであり、人々にどのような影響を与えたのか、どのような奇跡を行ったのかが教皇庁の列聖省で調査する、とのことです。

 高山右近については以前より関心をもっていました。彼は領主でしたが、その信仰故に最後は現在のフィリッピンに流され、マニラで病死しました。右近は摂津国三島郡高山庄、現在の大阪府豊能群豊能町高山で1552年に、父親の高山友照の嫡男として生まれました。友照はイエスズ会修道士のロレンソの話を聞いて感動し洗礼を受け、居城に戻って家族や家臣を洗礼に導きました。
 友照は高槻城主でしたが、それを右近に譲り教会を建設し、神学校を設立するなど熱心に宣教活動を行いました。反面領内の神社仏閣を壊して神主や僧侶を迫害しました。右近は10才の時に洗礼を受けました。洗礼名は「ジュスト」です。彼は父親の生き方に影響を受けながら育ちました。

 高山右近が生きた時代は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と言った戦国時代のまっただ中でした。高山父子は荒木村重の家来となり、その関係で高槻城主になりました。荒木村重は織田信長に反旗を翻しました。高山家は危機を迎えるのですが、高山右近は織田信長に従う決断をしました。このことが荒木村重の敗北の原因になるのですが、この勲功が認められて、引き続き高槻城主になります。

 高山右近は優れた武将であり、信仰篤い人と評価されています。生きる上で選択しなければならないときには信仰を持って決断したと言われています。
 高山右近に関する書物の解説に、ある人は「右近において人生の大事というべき出来事は、しばしば他者の眼には容易に映らないところでおこなわれている」、「その時には祈りのうちに起こる。祈るとき、人はひとりになる。むしろ、一人になることがなければ祈ることは出来ない。祈るとは、人間の想いを神に届けようとすることではなく、人が沈黙のうちに神の声を聴くことだからである」と言っています。
 高山右近が祈りの人であったことが、ここで言われています。武力がものを言う時代にあって、右近はキリストへの信仰、それは主にある平和、平安ですが、それを第一にしました。その信仰の故に63才でマニラで生涯を閉じるのです。

 高山右近が生まれてから466年か経過しました。信仰と行いが認められ列福されました。長い時間がかかりましたが、それだけの人物なのです。プロテスタントに列福式とか福者、聖人という称号はありませんが、信仰者として、どのように生きたのか、その生き方が問われています。

 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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