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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

イエスの足跡

ガリラヤ湖の人々 3 マグダラのマリア 2
 荒井 献氏の著書に「新約聖書の女性観」と言うのがあります。そこにマグダラのマリヤについて記述があります。特に、マルコによる福音書の女性観について、とても興味深いことが記してあります。「マルコはイエスに従い仕える女達をまことの弟子として、イエスに従いえない男「弟子」の対極として描きながら、最後の場面で、この女達もイエスとの再会の約束伝達命令に従えなかった」とあり、男弟子、女弟子がガリラヤでイエスに会うことによって「互いに助け合って人間としての弱さを克服してイエスに従って仕える、このことがマルコによる福音書から見える使信である」と言うようなことを述べています。

 この本を読んでいてつくづく思ったことは、女性の視点から聖書を読むことです。そのことに関連して、わたしたちの教会ではアネモネ会(通称婦人会と言う)で絹川久子氏の「女性の視点から聖書を読む」を読み始めました。読んでいて女性の視点で読むのと男性の視点で読むのとでは読み方が違うことが分かりました。そもそも聖書は男性が書き、男性によって言い伝えられてきました。さらに神学者と言えば男性の世界でしたし、男性が書いた注解書を読み、多くの場合男性が牧師として説教をしてきました。男性の解釈はあっても、そこには女性の視点が含まれていませんでした。そのことが当然のようになされてきました。これからの教会ということで考えると、もっと教会の中で女性の視点から聖書を読むことが求められてもいいのではないかと思います。

 その一つのきっかけとなるのが福音書においてはマグダラのマリヤでしょう。マリヤがガリラヤ湖の近くの出身であるとすれば、同じガリラヤ湖のカファルナウム出身のペトロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブがいます。彼らはイエス・キリストの側近でした。その側近達がペトロに代表されるようにイエスが捕らえられ、裁判にかけられたときに、自分たちの身の危険を感じて一目散に逃げてしまったのです。しかし、マグダラのマリヤは他の女性達と共に「遠くから見守っていた」のです。そればかりではなくイエスの遺体が葬られるときに「墓の方に向いて座っていた」のですし、イエスの復活の朝には「墓を見に行った」のです。主イエスの重要な場面に出てきているのです。

 このようなマグダラのマリヤの一連の行動は、主イエスに七つの霊を追い出してもらい、主イエスに癒されたものとして、主イエスに純粋に信従したと言えます。そこには利害損得の計算はありませんでした。同じガリラヤ出身でありながらペトロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブとはかくも違うことを認めなければならないでしょう。

 ことさらマグダラのマリヤを過大に評価する必要はありません。ただ主イエスがガリラヤを中心にして活動し、その狭い地域の中でさまざまな人と出会った、その中で後の生き方として対称的だったのはペトロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブの男弟子であり、いつも主イエスの側にいたのに対して、イエスを周りから見る女性のマグダラのマリヤ、この対比はおもしろいものがあります。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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