パウロは第2回の伝道旅行でアテネに行きました。シラスとテモテを待っている間町の中を歩いたのでしょう。「至るところに偶像があるのを見て憤慨した」のです。「それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。
また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論した」のです。(使徒言行録17章17〜18節) その議論は、なぜ偶像を拝むのか、本当の神様とはどのような方なのか、と言うことだったのでしょう。
エピクロス派やストア派の人たちは「『このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか』と言う者もいれば、『彼は外国の神々の宣伝をする者らしい』と言う者もいた」のです。エピクロス派やストア派の人たちはパウロをアレオパゴスに連れて行き「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ」(使徒言行録17章19〜20節)と言って、さらに具体的にパウロの話を聞くことにしました。パウロはアレオパゴスで説教をしました。「イエスと復活についての福音」を語りました。評価はどうであったかと言いますと「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。」のです。パウロが語ったイエス・キリストの十字架と復活の福音はエピクロス派やストア派の人たちにとっては「奇矯なことであり」、また「あざ笑い」の対象だったのです。さんざんたる評価であり不評だったのです。
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