主イエスの出身はナザレです。伝道し始めた主イエスはナザレに拠点を置いたのではなく、ナザレから40〜50キロ離れたガリラヤ湖周辺に置きました。
ナザレの近くに、紀元前56年以来ガリラヤの首都であったセッフォリスという町がありました。この町はヘレニズム化された町ですが、聖書には、なぜか名前は出てきていません。その他ヘレニズム化された町にヨルダン川沿いにスキトポリス(ベテシャン)がありました。新約聖書には、主イエスがこの町に行ったとは記していません。ヘレニズム化された町ですから、当然賑わっていました。発掘されているスキトポリス(ベテシャン)には列柱道路があり繁栄していた様子がよくわかります。
不思議に思うのは新約聖書で、なぜこれらの町に触れていないのかということです。そこで聖書学者ではありませんので、想像たくましく考えてみたいと思います。
主イエスの職業は大工です。大工と言っても、今日のような大工ではなく、さまざまのものを作る仕事をしていたと考えられます。もちろん、仕事は父親のヨセフから教えてもらいました。ナザレからセッフォリスまでは約10キロくらいのようです。セッフォリスは繁華街、ナザレは小さな村です。ナザレの大工の仕事だけでは生活出来ません。それで、当然セッフォリスの町に仕事に出かけて行ったことでしょう。
それとスキトポリス(ベテシャン)ですが、この町はヨルダン川沿いにあります。ナザレからエルサレムに行く道はヨルダン川沿いを通って行く道がありますが、その道からスキトポリスまで、数キロ離れているようですが、主イエスは家族でエルサレムに行っていましたので、旅の途中1泊したとも考えられます。と言うのは「ベテシャン」はヘブライ語で言うと「ベ−ト」は「家」、「シャン」は「ヤシェン」で「眠る」という意味です。「ベテシャン」は、ですから「眠りあるいは休みの家」と言う意味なのです。
主イエスが伝道の段階で、これらの町に触れなかったのは「ヘレニズム化された町には足を踏み入れたくはない」という思いがあったのではないか。もちろん、これらの町にも人生の諸問題を負った人たちがいました。にもかかわらず、水があり、「海の道」が通っていて交通の要所として多くの人が集まり、農業、漁業、商業が栄え、ユダヤ的色彩の強いガリラヤ湖のカファルナウムを活動の拠点とした、そのように考えることが出来ます。主イエスにとって伝道の対象は、もっぱらユダヤ人に向けられていたから、そうしたのでしょう。
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