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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

パウロの足跡

アテネでの伝道 衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした
アレオパゴスの丘(パウロの演説の碑)

 パウロは第2回の伝道旅行でアテネに行きました。シラスとテモテを待っている間町の中を歩いたのでしょう。「至るところに偶像があるのを見て憤慨した」のです。「それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。

 また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論した」のです。(使徒言行録17章17〜18節) その議論は、なぜ偶像を拝むのか、本当の神様とはどのような方なのか、と言うことだったのでしょう。

 エピクロス派やストア派の人たちは「『このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか』と言う者もいれば、『彼は外国の神々の宣伝をする者らしい』と言う者もいた」のです。エピクロス派やストア派の人たちはパウロをアレオパゴスに連れて行き「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ」(使徒言行録17章19〜20節)と言って、さらに具体的にパウロの話を聞くことにしました。パウロはアレオパゴスで説教をしました。「イエスと復活についての福音」を語りました。評価はどうであったかと言いますと「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。」のです。パウロが語ったイエス・キリストの十字架と復活の福音はエピクロス派やストア派の人たちにとっては「奇矯なことであり」、また「あざ笑い」の対象だったのです。さんざんたる評価であり不評だったのです。


アレオパゴスの丘から見たアクロポリス

 紀元前340年代にエピクロスを創始者としてのエピクロス学派が現れました。この学派も幸福をもって人生の目的として、哲学とはいかにすれば幸福な生活を送り得るかを教えました。幸福は「快」にほかならないので「快」こそ望ましいものであり、善なるものであるとし、極力「不快」を避ける、このようなことを主張しました。

 ストア学派とエピクロス学派の哲学に関する方法論は違うのですが「この世における幸福を求めることが哲学の目的とするところだ」と言うことでは一致しています。

 パウロと議論したストア学派とエピクロス学派の哲学者たちがどの程度の学識のレベルであったの分かりませんが、少なくとも彼らはそれまでの哲学史を学んだ上で討論したはずです。

 パウロは紀元30〜60年代の人です。パウロは律法については研究してきました。何よりもパウロが言っているようにエルサレムでは当時の律法の権威者であるガマリエルの門下生で優秀でした。それなりの実力は持っていたことは事実ですが、しかしパウロがヘレニズムの文化に造詣が深いとはいません。たかだか教養程度と言ったところでしょう。パウロがソクラテス、プラトン、アリストテレスの哲学、あるいはストア学派とエピクロス学派を十分知っていたとは思えないのです。その意味でストア学派とエピクロス学派の哲学者と論じ合っても議論が噛み合わないのは当然です。アティナイつまりアテネの哲学と律法では考え方の次元が違う、分野が違うのです。パウロはストア学派とエピクロス学派の哲学者との議論でさんざんに打ちのめされたのす。

 このことがパウロをして「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」の原因になったのです。しかし、それでもパウロはコリントに行き、気を取り戻しコリントの伝道活動に励んだのでした。福音を宣べ伝えざるを得ないパウロの凄さです。

 
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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