パウロの活動拠点であった一つにアンティオキアがあります。アンティオキアは現在アンタキアといわれています。
パウロはキリスト教に回心した後、アラビア、エルサレムに行くなどして、生まれ故郷のタルソスに帰りました。ステファノの迫害をきっかけにしてエルサレムを追われた人たちは、それぞれの地で伝道しました。その一つにアンティオキアがあります。良い伝道をしているアンティオキアにエルサレム教会からバルナバが遣わされました。バルナバはタルソスにいるパウロを呼び、2年間共に伝道しました。その意味でアンティオキアはパウロにとっても思い出の地なのです。
ところで、アンティオキアはパウロが生きた時代はローマ帝国内の町でローマ、アレキサンドリアに次ぐ三大都市の一つでした。商業の町として栄え、いろいろな人種の人たちが集まり、当時50万人程の人口があったと言われています。しかし現在ではその面影はありません。
現在も町の中をオロンテス川が流れています。けっしてきれいな川とは言えませんし、川を挟んだ町並みも整然としているとは言えません。リステラ、コロサイと同じようにパウロの時代の町の発掘は進んでいません。アンティオキ教会がどこに建っていたのかも定かではありません。
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