パウロが伝道した地域は、今日で言うとトルコ、ギリシャです。聖書にはトルコ、ギリシャの地形のことまで書いていません。第1回の伝道旅行は船でキプロス島からトルコに入りピシディアのアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベを往復してアタリアから船でアンティオキアに帰りました。第2回は陸路を通りアンティオキアからタルソス、デルベ、イコニオンを経てトロアスに行きました。
問題は陸路です。第2回の伝道旅行について使徒言行録15章41節から16章1節に「そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。パウロは、デルベにもリストラにも行った。」とあります。先ほどアンティオキアからタルソスに寄ってデルベ、イコニオンに行った、と記しました。使徒言行録にはタルソスに寄ったとは書いていません。これは自明のことだからと思われます。その理由は一つにはタルソスはパウロの生まれ故郷だからです。第2にはデルベに行くためにはタルソスから「キリキアの峡門」を通ってデルベ、リストラ、イコニオン、ピシディアのアンティオキアの町々があるアナトリア高原に行くのです。アナトリア高原は1400メ−トル位の高原です。キリキアの峡門は紀元前1000年頃ロ−マ政府が、いわゆる関所を設置したと言われています。つまりタルソスから山登りになるわけです。高原に出た後は高原ですからアップダウンがあります。上ったり下ったりしながら歩かなくてはならないのです。当時も今も建物があるわけではありません。何もない高原を、ひたすら歩くのです。
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