その出発点はアンティオキアから20数キロ離れたセレウキアでした。セレウキアは紀元前セレウコスT世が造った港ですが、アンティオキアを通って流れてきたオロンテス川が地中海に注いでいます。しかし、オロンテス川によって運ばれた土砂で海岸線は海の方に広がりました。
このようなことでバルナバとパウロが出発した時代の海岸線とは違います。現在のセルウキアには、海岸には古い岸壁のようなものがあるだけで、あとは何もありません。
海岸から少し登って行くとセレウキアの海岸線を見渡すことが出来ます。そこから少し歩くとローマ皇帝のヴェスパシアヌス(紀元69〜79年在位)が造ったオロンテス川の導水路があります。オロンテス川はたびたび氾濫していましたので、人々の生活を守るために導水路を造り、増水した水を地中海に流したのです。その導水路跡を歩きました。岩をくり貫いて造られており難しい工事だったのではないかと思いました。
海岸線より、少し高いところから地中海が一望できます。使徒言行録13章4節に「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し」たとあります。地中海を一望していてバルナバとパウロの一行の心中に思いを馳せました。
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