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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

人生の扉

2012/07 頑張ってとは言えない2 -「部分」としての努め-
与えられた環境の中で「部分」としてしっかり務めを果たして生きたい
 6月中旬も過ぎ新しい環境に慣れてきたことでしょう。4月頃の新鮮さがうすれ、時には、これからのことを思うと不安になることもあります。どのような思いがあっても今ある現状で生きていかなくてはなりません。

 そこで大事なことはどのように生きるのか、ということです。自分の思い通りになったということで安心しては先に進みません。また思い通りにならなかったことでつぶやいても明るい道が開かれるわけでもありません。

 今ある現状の中で何を学び、何をするかという目的、目標を持つことと、そこに向かっていく姿勢こそが大事なのです。それが幸せになる道を作り出すのです。そして、その幸せな道を歩むことが、社会の中でなくてはならない人物となっていくのです。

 先日、会合があり岡山に出かけました。その折、岡山城に行きました。城を見るたびに城そのものの美しさを感ずると共に、今日のような重機がない時代でどのように造ったのだろうかという思いが駆け巡りました。それと同時に、その城の土台となる、また城を守るための堀の石垣、その重厚さにも感動しました。岡山城は戦争で焼失してしまい、戦後鉄筋コンクリ−トで作られたものですが、その城の周辺の石垣は歴代の城主によって造られたものが残っています。大きな石、それより小さな石、ともかく大きさの違う石を上手に組み合わせて何mもの高さまで積み上げています。この石をどのように運んできたのか、どのようにして積み上げたのか不思議に思います。

 大きな石の中に、きわめて小さな石があります。手の平サイズの石がそこかしこに組み込まれているのです。なくてもいいような石ですが、しかし、それは石垣にとってなくてはならないものなのです。小さな石も石垣を立派に構成しているのです。

 「人は石垣」といわれています。社会は人によって構成されていますが、それぞれの役目を果たすことができれば、その人はよい働きをしていることになります。さまざまな人で構成される社会の中で自分の役目を責任をもって忠実に果たしていく以外にありません。

 聖書に「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています」「多くの部分があっても、一つの体なのです」(1コリント12章12節以下)とあります。そうです。人間の体もさまざまな機能をもった器官によって成り立っています。そして機能を果たしているのです。私たちも、与えられた環境の中で「部分」として、しっかり務めを果たして生きたいと思うのです。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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