2018/12 | 固有性と相互依存 |
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週何回か早朝ウォーキングをしています。次第に寒さが増してきましたが、1月、2月は寒さのあまり、なんでこんなことをしなければならないのか自問自答しながら歩いています。 歩くコ−スには田んぼがあり、そこに舗装道路があります。両側の田んぼには刈り取った後に出る稲の穂があります。道には花らしきものはありません。愛でるものがなく寂しさを感じますが、3月の下旬になりますと道の両側にオオイヌノフグリ、ホトケノザ,タンポポなどが咲きます。 小さな花ですが群生して生えているのを見ますと美しさを感じます。それらは雑草のような感じを受けますが、その花を見ていると「このところでしっかり咲いているぞ」と訴えるように見えます。 確かに、ダリヤ、チュ−リップ、バラ、ゆり。花は「きれい」と人から褒められます。しかし、けなげに咲いているオオイヌノフグリ、ホトケノザなど「きれい」とはあまり言われない。 筆者も人から「きれい」と言われたことはありません。人から踏まれ、時には無視されるように道ばたに咲いていますが、彼らには彼らなりの自己主張があるように思えてなりません。よく見ていると「おれたちも固有の花なのだ」と訴えるように思えてきます。そう、彼らは名前のついた立派な固有の花なのです。 ある本に「相互依存(interdependence)という英語が『independence 独立』という言葉を中に含んでいるということは非常に面白い。つまりともにあるためには、まず個が確立されていなければならないことである」と書いて、さらに「相互依存」と「独立」を橋渡しするために「個」が必要である。そのためには自分が一個の人格である時、はじめて他人と真の愛の関係に入れる」とエ−リッヒ・フロムの言葉を引用してありました。 人格、それはその人そのもの、決して変えることが出来ない固有なものです。家族で言えば夫、妻、子どもは独立した人格を持っています。その人格を互いに尊重し合うことによって、相互に依存することが出来るようになり信頼関係が構築されるのです。 イエス・キリストの誕生は神にある人格としての人間が互いに助け合いながら相互依存として、信頼し合って生きることを確認することにあります。 |
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新松戸幸谷教会牧師 吉田好里 |
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