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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

聖書の読み方 聖書の理解を深める読み方
 祈祷会では2005年10月から「創世記」を学んできた。その学びも5月で終わる。自画自賛するわけではないが、創世記の学びは大変有意義であったと思っている。この学びの中でしばしば言ったことは「聖書の解釈は一通りではない。本文を読むことで自分は、このように解釈すると言っていい」ということであった。その意味で出席者が発表者の意見を聞いて自分なりの意見を出し合ったことは大変よいことで、それが聖書の理解を深めることなのである。ともかく、聖書は「おもしろい」と思うようになればしめたものである。

 2月の学びの中で「そうなのか」と思ったことを記してみたい。創世記43章29節以下にヨセフがベニヤミンを伴って食料を調達しにきた兄弟たちと出会い、20年ぶりに会ったベニヤミンを見て「ヨセフは急いで席を外した。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからである。ヨセフは奥の部屋に入ると泣いた。やがて、顔を洗って出て来ると、ヨセフは平静を装い、『さあ、食事を出しなさい』と言いつけた。」とある。ヨセフは別室で泣いた後顔を洗って兄弟の前に出てきたのであるが、なぜ顔を洗ったのか、それは泣いたことを兄弟に隠すためである、と考えるのが一般的な解釈である。しかし、「当時のエジプトでは政府の高官は目の周りを、今で言うアイシャドウ−のようなものをつけていた、だから泣くと目の周りが黒くなるので、それを洗い落とすために顔を洗った」と説明している人がいる。なかなか面白い解説だ。ベニヤミンの実の兄であるヨセフは懐かしさのあまり泣いた、それを隠すために顔を洗ったのではなく目につけて化粧で顔を黒くなっている、それを落とすために顔を洗った。これも一つの解釈である。

 また、食料を調達してカナンに帰る時にベニヤミンの袋の中にヨセフが使用していた「銀の杯」が入っているという出来事が起こった。これはヨセフの策略なのであるが、そのことが分かって兄弟たちはエジプトに戻っていく。44章14節に「ユダと兄弟たちがヨセフの屋敷に入って行くと、ヨセフはまだそこにいた。一同は彼の前で地にひれ伏した」とある。同じ「ひれ伏した」と訳されている言葉が42章6節と43章26節にある。この二つはヨセフがエジプト政府の高官であることから、まさに権力者に対して「ひれ伏した」のである。しかし、44章14節は先の「ひれ伏す」とは違う言葉が使われている。元の言葉は「落ちる、失せる、倒れる」という意味がある。こともあろうにエジプト政府の高官であるヨセフが使用している「銀の杯」がベニヤミンの袋の中に入っていた。どのように処分されるか分からない、そのような恐怖の中で倒れるようにしてヨセフの前にひれ伏したのだ。

 このように読んで見ると一通りの読み方ではなく複数あっていいことが分かる。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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