先祖の列に加えられる | 愛と怒りは表裏一体 |
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聖書の神様は裁きの神様であると同時に愛の神様ですが、時には神様は何と惨いことをするのか、そのように思うことがあります。 エジプトで過酷な労働を強いられていたイスラエルの民はモ−セを指導者にして、またモ−セの姉であるミリアム、兄であるアロンを補佐役として出エジプトをしました。その旅の途中でイスラエルの民は水がない、食料がないと言っては モ−セやアロンに不平不満を言いました。シナイ山に到着して、そこで律法が与えられてカデシュまで来ました。ここまで来るのに厳しい旅の連続でした。このカデシュでミリアムが死んだのです。カデシュを出発したイスラエルの民はホル山に来ました。死海の下あたりです。ここで神様は「アロンは先祖の列に加えられる。」(民数記20章24節)と言って死に行くのです。 そしてモ−セに対しても乳と密の流れる地カナンを眼前にして、神様はモ−セを一望できるネボ山に連れて行き「これがあなたの子孫に与えるとわたしが アブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」(申命記34章1節以下)と宣告するのです。 このようになった理由はミリアムとアロンは「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。」(民数記12章2節)と言って不満を言いました。アロンは、またモ−セがシナイ山で十戒を与えられているときに、麓で民の要請に答えて「金の子牛」の偶像を作りました。そして、モ−セとアロンはカデシュで水がないと言って騒いだ人々に、神様がモ−セとアロンに伝えた言葉とは違う「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか。」(民数記20章10節)と言い、あたかも水が出たのは自分たちの力であるかのように言ったのです。 これらは神様の意に反したことで、神様に犯した罪です。しかし、だからといって乳と密の流れる約束の地であるカナンを近くにして、特にモ−セの場合は「ここが約束した地ですよ」と見せあれて「あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」とはっきり言うのです。人間的に考えれば「神様、モ−セ、アロン、ミリアムはあのわがままなイスラエルの民を、我慢に我慢を重ねて導いてきました。彼らの辛かったのです。ですから犯した罪のお目こぼしがあってもいいのではないですか」とも言いたくなります。 しかし、神様はお目こぼしはしません。罪は神様に対する裏切りです。裏切りは当然怒りになります。なぜ、神様は怒るのか、それは愛すればこそです。神様はモ−セ、アロン、ミリアムを愛していました。しかし、彼らは自己主張をして神様の信頼を裏切ったのです。その結果なのです。愛と怒りは表裏一体なのです。 |
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新松戸幸谷教会牧師 吉田好里 |
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