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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

イエスの足跡

ガリラヤ湖の人々 1 ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは「普通の人」であるが「無学な人」ではなかった。
 ガリラヤ湖畔にあるカファルナウムは、ダマスコからカファルナウムの近くを通り、ナザレ近くのヘレニズム化された町セッフォリスを通って、地中海に抜ける「海の道」がある関係から商業、農業、漁業で栄えていました。カファルナウムの町周辺にはいろいろな人が住んでいました。その中にシモンとアンデレの兄弟、ヤコブとヨハネの兄弟がいました。マルコによる福音書2章16節以下によりますと、彼らは「漁師」でした。その彼らが主イエスの「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけられて、主イエスに従っていくのです。

 ここで興味深いのはシモン即ちペトロとアンデレが「網を捨てて従った」ことと、ヤコブとヨハネが網の手入れをしていて、主イエスから招かれたときに「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った」ことです。ペトロとアンデレは「湖で網を打って」いました。彼らは舟と網を持っていたのです。ヤコブとヨハネは網と舟の他に雇い人までいました。この4人は、それなりの財産を持っていたのです。舟と網があり、まして雇い人までいたということは社会的階層から見るとかなり上で、いわゆる経営者の部類に属するのであって、貧しい人たちとは言えません。

 現在、カファルナウムの会堂(シナゴーグ)の近くにペトロの家の跡と言われている遺跡が残っています。人の集まる会堂の近くに、もしペトロの家があったとするならば、ペトロの家は繁華街のなかにあったことになります。そうしますとペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの家を、今日の株式会社に例えるならばペトロとアンデレは小さな会社、ヤコブとヨハネは従業員のいる、それなりの会社と言っていいでしょう。

 使徒言行録4章13節に「ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人である」とあります。口語訳聖書には「無学な、ただの人たち」とあります。このようなことからガリラヤの漁師達が「無学な普通の人」、今日的な言葉で言うと「教養」のない人のように見られています。彼らは「普通」の人であることには違いありませんが、わたしたちが想像する「無学」ではないのです。カファルナウムの会堂で律法を、しっかりと学んでいたのです。会堂には「ベイトセフェル」、「ベイトミトラッシュ」と言う律法を教える学校があった、と聞いていますが、そこで学んでいたことでしょう。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネは中産階級の人だったのです。その意味で「普通の人」ではありますが、決して「無学な人」ではなかったのです。

 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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