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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

イエスの足跡

イエスは歌ったか イエス・キリストは歌を歌ったでしょうか(詩編100編1〜5節
 イエス・キリストは歌を歌ったでしょうか。
 もし、歌ったとすると主イエスは、どこで歌を習い、どのような歌を歌ったのでしょうか。結論から言いますと主イエスは上手下手は別として歌を歌いました。

 どこで習ったのかと言いますと、主イエスが住んでいたナザレには会堂、シナゴグがありました。まずは会堂での礼拝です。主に詩編を中心としての歌が歌われていました。主イエスは、それを聞いていたことと、会堂では律法を子供達に教える学校のようなものがありました。ベイトセフェル、ベイトミトラッシュと言われていますが、そのようなところで律法について、またその読み方が教えられていたのです。福音書を読んでいますと主イエスが律法を十分に勉強していたことがよくわかりますが、同時に会堂で歌も教えられていたと推測できます。それと家でと言うことでしょう。父親であるヨセフ、母親のマリアが歌を口ずさんでいた、あるいは鼻歌を歌っていた、それを主イエスは聞いて育ったとも言えます。

 どんな歌を歌ったのでしょうか。旧約聖書を読みますといろいろな歌があります。結婚式の歌、お葬式の歌、労働歌、戦争の歌、勝利の歌、ぶどう酒の歌つまり宴会の歌等々です。例えば、労働歌では民数記21章17〜18節に井戸を掘った時に歌われた歌として「イスラエルはこの歌をうたった。井戸よ、湧き上がれ/井戸に向かって歌え。笏と杖とをもって/司たちが井戸を掘り/民の高貴な人がそれを深く掘った。」とあります。

 お葬式の歌はサムエル記下1章19節以下にダビデがサウルとその子ヨナタンを悼む哀悼の歌「弓の歌」が歌われています。
 このような歌が歌われ続けました。主イエスも結婚式や、それに続く宴会で、またお葬式などで歌を聞いていたし、歌ったのです。マタイによる福音書11章16節以下で「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』」とあります。11章2節以下は「洗礼者ヨハネとイエス」のことについて記してありますが、その解釈は別として、子どもの遊びの中で笛を吹いたのに踊らなかったことと、お葬式ごっこでしょうか、歌を歌ったのに悲しんでくれなかった、そのようなことが言われているのです。主イエスは子どもの頃お葬式ごっこをして遊び歌ったりしていたし、また笛を吹いて踊ったりして遊んでいたようです。しかも、11章17節を見る限り、実際のお葬式でも歌を歌ったことがわかります。
 
 
「エリコの町」
 それとイスラエルの人々が大切にしてきたのはエルサレムへの巡礼です。ルカによる福音書2章41節以下に「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上(のぼ)った。」とあります。ヨセフの家族が毎年過越の祭りの時にエルサレムに行ったかどうかについては、いろいろ議論があるところなのですが、12歳の時に、確かに行きました。それはバ−ルミツバ、つまり成人式をするためと、理解することが出来ます。今は13才なのですが、主イエスは12才で成人式をした、そのために「都に上(のぼ)った」のです。

 エルサレムに行くことを「都に上(のぼ)った」と言いますが、詩編120編〜134編は、まさにその歌なのです。なぜ上るのかと言いますとエルサレムにはイスラエルの人たちの精神的な支柱である神殿がありました。過越の祭りを守るために行ったのです。

 どのような経路を辿って往復したのでしょうか。一つは、例えばヨセフ一家がナザレからエルサレムに行く場合、山を歩くサマリアのル−トと、二つにはエズレル平原からヨルダン川沿いを歩き、海抜下250Mのエリコに行き、そこから標高約800Mのエルサレムに向かう、標高差1000Mの上るル−トがあります。主イエスが歩いた道は後者ではなかったかと推測出来ます。

 ともかく標高約800Mのエルサレムを目指すのです。その時の様子について律法を解釈したものに「ミッシュナ−」というものがあります。その中のビクリ−ム3章ミッシュナ−3に

「(エルサレム)近郊の人たちはいちじく、ぶどう、遠方の人たちは乾燥いちじくと星ぶどうを持ってやってくる。(巡礼の)人々の先頭に雄牛が行き、その角には金のかざり、頭にはオリ−ブの冠がかざられる。人々の前を笛吹が歩む。エルサレムに近付くまでこのようにして歩む。エルサレムに近づいたら、使者を遣わし、初物のかごを頭に上げる。祭司次官、レエビ人、神殿の会計係が出迎え、巡礼者の数に従って相応の人数が出迎えた。エルサレムの職人達も並んで出迎えた」

とあります。きわめて巡礼について具体的に記しています。恐らく、上記のようなままではないにしても、イエスの時代もこれに近いことが行われていたのではないか、そう考えることが出来ます。
  先程ルカによる福音書を引用しましたが、12歳の時にヨセフ一家がエルサレムに来た時は「ナザレ村御一行」で来たのです。なぜかと言いますと帰る時に主イエスが迷子になったとヨセフとマリアは一日の距離を行った段階で気がつきました。その時のことについて2章44節に「イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回った」とあります。「ナザレ村巡礼団御一行様」の中にイエスがどこかにいると両親は思い込んでいました。

 それはそれとして、ともかく都に上る時には乾燥いちじくとぶどうを持って、雄牛の角に金の飾りを付け、頭にオリ−ブの冠を飾って、詩編の「都に上る歌」を笛の伴奏で歌いながら坂道を登っていったのです。主イエスも家族や同行者と一緒に「都に上る歌」歌を歌いながらエルサレムへ向かったのです。

 このようなことをイスラエルの人々は紀元70年にロ−マによって第2神殿が崩壊させられるまで大事にしていたのです。

 
嘆きの壁でユダヤ教徒
 わたしたちはイエス・キリストがもたらした「天の国、神の国の都に登る」ために高らかに讃美することが許されています。この讃美こそが大事なのです。イスラエルの人たちは讃美しながらエルサレムに向かい礼拝をし、讃美しながら下ったのです。主イエスもそうしたのです。わたしたちの日々の生活も。讃美しながら教会に向かい、讃美しながらそれぞれの生活に帰りたいと思うのです。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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