イエス・キリストの活動の拠点の一つはガリラヤ湖にあるカファルナウムです。この町については旧約聖書には出てきていません。恐らく捕囚以後出来た町と考えられます。福音書ではカファルナウムを「町(ポリス)」と書いてあるところから繁栄していたことがわかります。
繁栄した理由はダマスコからカファルナウム周辺を通って、ナザレの近くのセフォリスから地中海に抜ける「海の道」がありました。またヘロデ大王の子ヘロデ・アンティパスのガリラヤの領地と、同じくヘロデ大王の子ピリポの領地とが接触するところで交易税を徴収する「税関」があったようです。それとガリラヤ湖には水があります。やはり「海の道」沿いにある「マグダラ」がありますが、この町ではガリラヤ湖で捕れた魚を塩漬けにしてロ−マに送っていました。
このようなことからカファルナウムは商業、漁業の町として栄えていました。またカファルナウムにはユダヤ教のシナゴク(会堂)がありました。現在も、その遺跡が残っていますが、今のは3世紀頃のものと言われています。しかし、その土台はイエス時代のもので玄武岩で出来ているとのことです。
マタイによる福音書4章13節には「ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」とあり、マルコによる福音書2章1節には「数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り」とあります。イエス・キリストはカファルナウムに住んでいたのです。この家が主イエスのものなのか、それとも誰れかの家なのかわかりません。マルコ1章29〜30節で「一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した」とあるところからシモン即ちペトロの家と言えないこともありません。
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