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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

イエスの足跡

ナザレ ナザレは無名の小さな村だった。

ナザレの街

 イエス・キリストはベツレヘムで生まれたと言われています。しかし、その誕生から少年と青年時代にかけての詳細は明らかではありません。ルカによる福音書2章41節〜42節に「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った」とあり、イエスの少年時代の貴重な記述です。

 少年イエスが両親と共にエルサレムに行ったのはユダヤ人の大事なつとめとしての過越祭を守るためですが、それと同時にイエスのバル・ミツバを守るためと考えることが出来ます。バル・ミツバは「成人式」です。バルとはアラム語で「子」を意味し、「ミツバ」はユダヤ教の律法の戒律を意味します。つまり律法を守る責任が生じる年代のことです。今日のイスラレルでは13歳になるとバル・ミツバの儀式が行われています。

 イエスの少年時代や青年時代のことは福音書の各所を通して推測する以外ありません。その中で、一つだけ明らかなことはイエスは聖書的に言うなら「生まれはベツレヘム、育だちはナザレ」なのです。

受胎告知教会
 ナザレはマリアへの受胎告知の場所としてルカによる福音書1章26節に記されています。14年間かけて1969年に完成したフランシスコ会の「受胎告知教会」が壮大に建っております。今でこそ人口5万弱の町で、世界中から観光客が訪れますが、しかし、イエスが育った時代のナザレは人口数百人程度の小さな村だったのです。

 その証拠に旧約聖書には名前が1回も出てきておりませんし、また当時の歴史家ヨセフスの著書にも名前が出てきていません。また、ユダヤ教のタルムードにも名前が出ていないと言われています。その点で、イエスが家族で生活した時代のナザレは無名の村だったのです

 それではナザレは僻地寒村かというと、そうではないのです。その理由の一つにイエスはよくガリラヤ湖に行きました。当時のガリラヤ湖周辺は肥沃であることから農業、またガリラヤ湖の漁業、それと交通の要所として商業が盛んでした。ガリラヤ湖までナザレから歩いて1日の距離です。

 二つにはガリラヤ地方の首都セッフォリスがナザレのすぐ近くにありました。聖書にはセッフォリスの名前が出てきていませんが、当時ヘレニズム文化を持つ大都市でした。なぜか、イエスはセッフォリスに行かずにガリラヤ湖周辺に行ったように聖書に記してあります。それはヘレニズム的文化をイエスが避けたとも考えられます。

 このようなことからナザレは、それなりの影響を受け、また情報が入ってきたのです。ナザレが僻地寒村ではないにしても、小さな村であったことは事実です。

 
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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