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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

イエスの足跡

バプテスマのヨハネとイエス バプテスマのヨハネと主イエスの関係は・・・。
 バプテスマのヨハネと主イエスの関係について考えてみました。聖書を読んで、今まで思ってもみなかったようなことを考えさせられました。特に、ルカによる福音書が、なぜバプテスマのヨハネから物語を紐解いているのか、そのことに関心を持ちました。そこにルカの何かの意図があるのではないかと考えたのです。

 バプテスマのヨハネの母はエリサベトです。エリサベトは祭司として正統的なアロン家の一人娘で、それなりの家の出です。祭司は世襲ですのでエリサベトは、アビア組の祭司ザカリアと結婚しました。当時祭司は18000人いたと言われています。祭司は24の家系に分かれていてアビア組はその一つでした。(歴代誌上24章10節) 1家系750人の祭司がいたことになります。ザカリアはどこにでもいる祭司の一人です。ルカ1章8〜9節に「ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。」とあります。聖所での奉仕は24部族が半年ごと1週間ずつ交代して行っていました。1部族の司祭は750人ですからくじで奉仕者を決めなければなりませんでした。ザカリアは「聖所」に入って香をたく当番にくじで当たったのです。これは大変なことなのです。まさに生涯一度の名誉ある当番でした。聖所までは祭司は入れますが、しかし儀式を司ることは自体大変なことだったのです。その当番の時に妻エリサベトに子供が生まれると天使から言われたのです。

 生まれた子に「ヨハネ」と名前がつけられました。61節で「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいません」と人々は言いました。イスラエルでは名前は「何のたれそれの子」とつけられました。ヨハネはヘブライ語では「ヨハナン」です。「ヤ−ウエ−は恵み深い」が、その意味です。ザカリアは代々祭司の家系でしたので「ヨハナン」と名付けた人はいなかったので人々は「あなたの親類には、そのような名の付いた人はいません」と言ったのです。
訪問教会
 このようにバプテスマのヨハネが祭司の出であることを強調しているように思えてならないのです。それに対してイエスの父であるヨセフはアブラハムを先祖にもち「ダビデ家」に繋がると言われています。マタイよる福音書1章の系図が、それであり、ルカによる福音書では1章27節に「ダビデ家のヨセフという人」とあります。思いますにヨセフがアブラハムを先祖にもったことやダビデ家の家系に属すると言う表現は氏素性を明らかにしなければならない、と言う当時の伝承を付け加えたと思っています。箔付けです。実際にはヨセフは、ただの人で大工さんです。そして母マリアも、どこにでもいる普通の女の子です。ヨセフもマリアも、日本的に言えば昔の「太郎さん、花子さん」のような名前なのです。しかも、子供が与えられるという託宣は、当時100人くらいの人口と言われた田舎の町ナザレで天使ガブリエルから言われました。

 この両者の表現をどのように見るかです。ザカリアとエリサベト夫妻、ヨセフとマリア夫妻は、当時のユダヤ教社会から見ますと格が違う、それは氏素性という面から言うと違うのです。つまり氏素性がはっきりしているのがヨハネです。

 普通の人、ただの人、箔付けしなければならないような人から生まれたのがイエスです。バプテスマのヨハネがそのイエスの先駆者となる、そのようなことを聖書は、どことなく漂わせているように思えてならないのです。 
  ここからは推測なのですが、ルカはどうして、このように書いたのかです。ルカによる福音書は異邦人向けに書かれた福音書です。そのようなことから、どこかでユダヤ人や、祭司やレビ人と言った宗教家を批判するようなことが書かれています。どうもルカ特殊資料に、そのことが現れているように思います。

 例えば、10章25〜37節の「善いサマリア人」です。追いはぎに襲われ傷ついた人に対して祭司やレビ人は見て見ぬふりして立ち去ってしまいました。それに対して手当をしたのはユダヤ人から嫌われていたサマリア人でした。13章6節以下の「稔らないいちじくの木のたとえ」は悔い改めないユダヤ人批判ですし、15章の「放蕩息子のたとえ」は悔い改めた弟と全財産を継承した兄に対する悔い改めないユダヤ人に対する非難でもあるのです。
訪問教会内部
 つまり正当性を主張するユダヤ人や宗教家の傲慢さをルカは明らかにして、名もない人が、あるいは異邦人が、主イエスによって招かれる、そのことが強調されているように思えてなりません。例えば16章19〜31節の「金持ちとラザロ」の物語、19章の「徴税人ザアカイ」の物語で、そのようなことを見ることが出来ます。

 このことは祭司の家系で生まれで氏素性がはっきりしているバプテスマのヨハネが、それこそ氏素性がはっきりしていないイエスの先駆者となる、このようなところに基盤を持っていると言えるのではないか、そう思うのです。ルカは福音書を書くにあたって、どこかで正統的ユダヤ人を批判する思いがあった、その批判をイエスの行動に投影させていると思うのです。それはルカ自身がユダヤ教徒ではなかった、と言われていますが、そのことに大きく関わっているのかも知れません。
  次に、バプテスマのヨハネと主イエスの活動エリアについて見てみます。それをバプテスマのヨハネとイエス・キリストの思考パターン、行動パターン、生活パターンの違いから見てみます。

 ヨハネの思考つまり信仰パターンですが罪の悔い改めの洗礼でした。実は洗礼がバプテスマのヨハネによって行われたことはヨハネ独自性をあらわしているのです。バプテスマのヨハネは、わたしの考えによればエッセネ派と言われるユダヤ教の中の一派に属していました。律法を守ることに厳格で禁欲の生活をしていました。特にクムランのエッセネ派は人間世界から離れてクムランという荒野の中で集団生活をしていました。エッセネ派は罪の清めとして毎日沐浴をしていたのです。恐らく、エッセネ派の中のクムランに属していたのではないかと思うのです。

 そこを離れて、エッセネ派を離れて自分でヨルダン川で洗礼を授ける運動を開始しました。その時の中心的な主張が罪の悔い改めの洗礼でした。これは画期的なことだったのです。その意味でバプテスマのヨハネはタダの人ではなく、一つの発想から自分独自の世界を切り開いた人なのです。

 主イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けたのですから、やはり一時期ヨハネ集団に属していたと考えられます。主イエスは洗礼を授けるというよりも「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言いました。主イエスの場合は「神の国のための悔い改め」なのです。このところがバプテスマのヨハネと微妙に違うのですが、しかし主イエスも自分独自の発想を持って宣教活動を行ったのです。

 行動パターンですが、バプテスマのヨハネはマタイによる福音書3章4節で「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。」とあります。修道服のようなものを着ていたし、食べる物も制限していたのです。それに対して主イエスの場合服は普通の服を着ていました。食べ物ですが、マタイによる福音書11章19節によりますと「大食漢で大酒飲み」とあります。主イエスは「大食漢で大酒飲み」だったのです。
 
訪問教会(マリアとエリサベト)
 生活パターンはバプテスマのヨハネが人のいない荒れ野とヨルダン川周辺で生活していたのに対して主イエスは緑豊かなガリラヤ湖周辺で人のいるところで生活していました。つまり、ヨハネは罪の赦しとしての洗礼を行い、厳格であったのに対して、主イエスの場合は「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」とマタイによる福音書11章5節にありますが、主イエスは人との関わりの中で、人と共に、面白おかしく生活をしていたのです。イエスは田舎育ちのお上りさんで、都会の生活にあこがれていたのです。ヨハネは、そうではなく自己の主張に孤高を保つ厳しさがあった、それは先程言った氏素性、生まれの違いから出てきているように思います。

 それでも聖書ではバプテスマのヨハネを主イエスの先駆者として描くのです。このところに聖書を読むおもしろさに触れたように思いました。勝手に想像しながら書いてみました。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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