本文へスキップ

日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

電話でのご相談・お問い合わせはTEL.047-345-1059

〒270-0034 千葉県松戸市新松戸2-169

コラムcolumn

パウロの足跡

アンティオキア パウロ活動拠点のひとつ、アンティオキア
アンティオキアの町

 パウロの活動拠点であった一つにアンティオキアがあります。アンティオキアは現在アンタキアといわれています。

 パウロはキリスト教に回心した後、アラビア、エルサレムに行くなどして、生まれ故郷のタルソスに帰りました。ステファノの迫害をきっかけにしてエルサレムを追われた人たちは、それぞれの地で伝道しました。その一つにアンティオキアがあります。良い伝道をしているアンティオキアにエルサレム教会からバルナバが遣わされました。バルナバはタルソスにいるパウロを呼び、2年間共に伝道しました。その意味でアンティオキアはパウロにとっても思い出の地なのです。


 ところで、アンティオキアはパウロが生きた時代はローマ帝国内の町でローマ、アレキサンドリアに次ぐ三大都市の一つでした。商業の町として栄え、いろいろな人種の人たちが集まり、当時50万人程の人口があったと言われています。しかし現在ではその面影はありません。

 現在も町の中をオロンテス川が流れています。けっしてきれいな川とは言えませんし、川を挟んだ町並みも整然としているとは言えません。リステラ、コロサイと同じようにパウロの時代の町の発掘は進んでいません。アンティオキ教会がどこに建っていたのかも定かではありません。


セレウキアの海岸線

 しかし、いざアンティオキア、今のアンタキアにたたずんで見ますと、パウロがこの町にバルナバと共に伝道し、さらに20数キロ離れたオロンテス川下流にあるセレウキアから第1回の伝道旅行にバルナバとマルコと共に出発したこと等々を一気に思い出しました。

 パウロが第1回の伝道旅行に出発したセレウキアの港は、パウロの時代かたちを留めてはいません。少しの遺跡があるだけで海岸線が広がっています。しかし、しばしば氾濫を繰り返したオロンテス川の水を海に流すためにローマ帝国のヴェスパチアヌス帝がつくったと言われる導水路は遺跡として残っていました。小高いところから、かってあったといわれるセレウキア港を見渡し、さらに広がる地中海、その向こうにあるキプロスに、パウロ一行がどんな思いで出発したのかがしのばれました。

 
パウロが歩いたと思われるローマ時代の道

 アダナからアンタキアに向かう途中にローマ時代の道といわれている道が残っていました。パウロはこの道を通ってタルソスなどを行き来したと言われています。

 郊外の山にペトロの「洞窟教会」があります。迫害された時代に信徒達は不審な動きがあると秘密の道を通って山に逃げました。いつの時代に造られたかわかりませんが、ペトロの洞窟教会からアンタキアの町を一望することが出来ました。

 
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


日本キリスト教団 新松戸幸谷教会新松戸幸谷教会

〒270-0034
千葉県松戸市新松戸2-169
TEL 047-345-1059
FAX 047-345-2735