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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

パウロの足跡

イコニオン(コンヤ) パウロ伝道とテクラ物語
コンヤ(デュンタルホテルの窓から)

 第1回の伝道旅行でパウロとバルナバの一行はピシディアのアンティオキアを伝道した後イコニオンに行きました。
 ピシディアのアンティオキアの伝道は成果を収めました。ところが使徒言行録13章50節以下に「ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った」とあります。ユダヤ人達の妨害に遭遇し、イコニオンに行かざるを得なかったのです。
 イコニオンの伝道の様子について15章1節に「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った」とあります。イコニオンでも伝道の成果を得ることが出来ました。
 しかし、ここでも2節以下「ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、 二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた」とありますが、ここでもユダヤ人達の妨害にあい、リストラにいくことになったのです。
 このように見ますとパウロとバルナバが苦労して伝道している様子がよくわかります。それでも福音を告げ知らせることに、いささかの気落ちもありません。一生懸命伝道したのです。それはそれでよかったのです。残念なことにピシディアのアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベでも信じる人はいましたが教会には発展しませんでした。

コンヤからエフェソへ(移動中使う井戸

 ところでイコニオンですが、現在のトルコでは「コンヤ」という名の町になっています。中部アナトリア高原にある町です。中部アナトリア高原にある町々は標高が800〜1400M位のところにあります。今のコンヤは、大変大きな町で、イスラム色が強いとのことです。コンヤは1077年にル−ム・セルジュ−ク朝のスルタン「スレイマ−・シャ−」の時に首都となり発展しました。13世紀にジェラ−ルッディン・ル−ミ−がイスラム教の神秘主義のメヴィレヴィ−教団を創設しました。このようなことで芸術や宗教、建築が盛んになりコンヤの文化として発展したとのことです。現在でもアナトリアの芸術、文化、政治面では重要な町といわれています。なお、コンヤは9000年前の新石器時代から人が住んでいたと言われ、大変古い町でもあります。
 2000年6月にパウロの伝道旅行を辿る旅で、このコンヤに一泊しました。残念ながら、このツア−ではコンヤの町そのものを見学することはしませんでした。詳しい町の様子はわかりませんが、しかし使徒言行録14章1節に書いてあるようにパウロとバルナバの一行はイコニオン(コンヤ)の「会堂」で話をしたのです。その遺跡が、どのくらいの深さか分かりませんが、地中に埋もれているかも知れません。もちろん、現在のような町ではなかったでしょう。周辺のリストラやピシディアのアンティオキア、デルベといった町と同じだったのかも知れません。

 
コンヤからエフェソへ(隊商の宿)エレンデール山脈のふもと

 旅のバスの中で、ある物語を聞きました。その話は深く記憶に残りました。そのすべては新約聖書外典「パウロ行伝(パウロとテクラの行伝)」に記してあります。それはパウロがピシディアのアンティオキアから逃れてイコニオンに行ったときにテクラという若い女性がパウロの話を聞いて信仰を持った出来事です。
 パウロはイコニオンのオネシポロスという人の家で話をしました。その話を熱心にテクラは聞くのです。そのことを心配した母親のテオクレイヤはテクラの許嫁のタミュリスに「テクラがパウロの話に虜になっている、あなたが行ってテクラに話しなさい」というのです。タミュリスはテクラに話しましたが、テクラは言うことを聞きませんでした。タミュリスはパウロを訴えました。パウロは捕らえられて獄に入れられるのですが、テクラは獄にパウロを訪ねます。裁判になるのですがパウロはイコニオンの町から鞭打たれて追放され、テクラは母親のテオクレイアが「この不法な者を焼き殺してください。もはや花嫁でないこの娘を劇場の真ん中で焼き殺してください。そうすれば、あの男から教えをうけたとすべての女たちはきっと恐れを抱くことでしょう」と言ったことから火あぶりの刑にされるのです。しかし雨と雹が降って火は消えてしまいます。
 その後パウロはテクラと共にアンティオキアに戻ります。テクラは、ここでも災難にあって、今度はライオンや熊などの野獣やどう猛な牛を襲いかからせる刑に処せられるのですが、テクラは助かるのです。その時に力になったのがロ−マ皇帝の親戚にあたる皇女トウリュファイナです。このようなことがあって総督は「敬虔な神の女僕のテクラを、わたしはあなたがたに解放する」と言って解放されるのです。解放後テクラはトウリュファイナと侍女たちに神の言葉を教えました。その結果信仰を持つに至ったのです。
 パウロ行伝の最後は、許嫁のタミュリスは死んでしまいましたが、母親のテオクレイヤに「母なるテオクレイヤよ。あなたは主が天において生きておられることを信じますか。もしあなたがお金が欲しいと望むなら、主はわたしを通してそれをあなたにくださるでしょう。もし子供を(返してほしい)と望むなら−ごらんなさい、わたしはこうしてあなたのそばに立っています」と言うのです。そしてその後テクラはセレウキアに行き多くの人に神の言葉を宣べ伝えるのです。(聖書外典偽典7「パウロ行伝」教文館より) 
 テクラの物語はパウロ時代のものではなく、200年頃と言われています。実際あった出来事かどうか分かりませんが、恐らく当時の教会が必要性があって文章化したのでしょう。

 
聖テクラ山とピリポ山

 コンヤの町から形の似た富士山のようなテクラ山とピリポ山が見えます。一泊した翌日バスに乗りピシディアのアンティオキアに向かいました。テクラ山とピリポ山の麓を通りました。テクラの話を聞きながらコンヤの町を見下ろしたときに、その町並みが広がっていました。約2000年前のパウロが伝道したイコニオンに思いをはせながらピシディアのアンティオキアに向かいました。
 その途中で思いもかけない出来事に遭遇しました。それは誰一人想像しない「あっ」と驚くような、そしてワクワクさせられた場面でした。次回、そのことを書きます。

 
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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