本文へスキップ

日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

電話でのご相談・お問い合わせはTEL.047-345-1059

〒270-0034 千葉県松戸市新松戸2-169

コラムcolumn

パウロの足跡

タルソ パウロ誕生の地
パウロの生家発掘

 パウロはキリキア(毛の国)州のタルソにディアスポラのユダヤ人として生まれ、育ちました。そのようなことから、パウロは小さいときからファリサイ派としてのユダヤ教を熱心に学びました。

 彼の祖先が、いつ頃からタルソの住んでいたかは分かりません。彼の職業が天幕造りだったことなどを見ますと、父親も天幕を作っていたと考えられ、それなりの生活をしていたと思われます。


 タルソを含むキリキア州は肥沃で綿花が栽培され、羊毛、山羊の毛の産地と言われています。天幕が作られたのは、このような理由によるものと思われます。

 パウロはユダヤ教の律法を、どこで学んだのかですが、タルソにユダヤ教のシナゴグ(会堂)があったのかどうか分かりません。パウロの律法に関する知識は、相当なものですが、イエスの時代を含めてシナゴグには併設されていたと言われている「ベ−トはセフェル(律法の初級学校)」、「ベ−ルはミトラッシュ(律法の中級学校)」という学校のようなものがあって、そこで子供たちは律法を学んだと言われています。パウロも、そうだったのかもしれません。その上の学びはラビについて勉強すると言われていますが、もしかしたらパウロも、そうしたかもしれません。

 また、哲学者キケロは紀元前50年頃にタルソの総督(市長)の任についていますし、アウグストウス帝の先生である哲学者アテノド−ルはタルソ出身と言われています。知識的にも豊かな町であったようです。パウロは、当然その恩恵を受けていました。そのような学びを経てエルサレムに行きガマリエルの門下生になったのでしょう。

 タルソの町ですが、ペルシャ時代とロ−マの初代皇帝アウグストウスはタルソをキリキア州の首都としました。この町は商業として栄えました。特に、紀元前400年にタウロス山脈の通路「キリキアの峡門」が開かれてからはタルソからアナトリア高原を通って行き来することが出来るようになったこと、さらにキュドヌス川を行き来して地中海に出ることが出来ました。その交易は栄え、人口50万人もあったとのことです。町の人にはアナトリア人、ギリシャ人、ロ−マ人、ユダヤ人がいたと言われています。


クレオパトラの門(パウロの門)

 現在のタルソは、町の中に「クレオパトラの門」(パウロの門)があります。紀元前41年クレオパトラはキュドヌス川を通ってタルソに来てアントニウスに会いました。パウロも、この門をくぐったことでしょう。「クレオパトラの門」は、今は修復されて体裁が良くなりましたが、以前は大分傷んでいました。

 
タルソの井戸

 タルソの町に「パウロの生家の跡」と言われているところがあります。その敷地内に「井戸」がありました。実際に汲んでみました。敷地内には発掘現場もあります。総じて、現在のタルソは発掘が進んでいません。イエス時代やパウロの時代の町並みは、現在の町の下にあると言われています。

 キュドヌス川には「キュドヌスの滝」があります。滝と言っても高さにすれば数メ−トルの滝ですが、流量は多く、森に囲まれていて、とてもよいところです。恐らく、パウロも「キュドヌスの滝」を見たり、泳いだりして、その周辺で遊んだことでしょう。

 キリスト教に回心した後、パウロはタルソに戻りますが、かつて自分が過ごしタルソで生活することによって、今後の自分の人生を考えながら、鋭気を養ったと言えます。

 
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


日本キリスト教団 新松戸幸谷教会新松戸幸谷教会

〒270-0034
千葉県松戸市新松戸2-169
TEL 047-345-1059
FAX 047-345-2735