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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

人生の扉

2009/12 良いものを入れた心の倉
言葉はその人の人格であり、その人の人間性を表します。
 「人間」という字は、よく言われるように「人」と「間」と書きます。「人」はわかりますが「間」は何を意味しているのでしょうか。広辞苑には「二つのものに挟まれた部分」とか「時間のへだたり」とあり、さらに「二つ(以上)のもののかかわりあい。結びつき、関係」とありました。ここから人間には挟まれた部分がある。挾まれた部分によってかかわりあい、結びつきがある、そのように理解しました。そうしますと人間の「間」に挟まれたものは何か。筆者は「言葉」と考えました。「言葉」によって人と人との「間」のコミニュケ−ションを図る、それが人間存在そのものなのです。その言葉は音声としての言葉もありますが、しかし同時に手話に見られるように動作を通しても語り合うことも出来ます。

 人は「言葉」によって自分の思いや気持ちを人に告げますし、また人の思いや気持ちを理解します。何気ない「会話」の中にも人の愛を感じたり、信頼を培ったり、また反対に怒りを覚えたり、不信感を持ったりするのです。ですから「言葉」は大切にしなくてはなりません。

 大切にするとは何も丁寧な言葉を用いることではありません。心のこもった言葉を語ることです。言葉はその人の人格であり、またその人の人間性をあらわします。人の心を傷つけ、踏みにじるような言葉を語るようでは人とのよいかかわりあい、結びつきは出来ませんし、信頼を得ることもできません。一回限りの人生であれば人とのよい関わりの中で生きたいし、また楽しく生きたいのです。

 イエス・キリストは「善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」と言いました。「善い人」にしても「悪い人」にしても「心の倉から」「あふれ出ることを語る」ことは事実です。その中で、人の心を傷つけたり、悪口を言ったり、欺いたりするような言葉を語るのではなく、良いものを入れた「心の倉」から温かい、愛といたわりに満ちた人を生かす言葉を語りたい。そして、一回限りの人生を人と楽しく生きたいと思うのです。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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