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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

人生の扉

2010/11 「沈黙」の中で、神様の言葉と人の言葉を聞きたい
与えられた環境の中で「部分」としてしっかり務めを果たして生きたい
 人間は言葉によって意思疎通を図っています。「会話」はその手段です。今まで順調に会話をしてきたのに突然というかフトというか言葉が途切れることがあります。それは決して意図してではなく自然にそうなったのです。これが「沈黙」です。

 筆者にも、このような経験が今までの生活に何度もありましたから読者の方々にも覚えのあることでしょう。

 問題は「沈黙」が押し寄せてきたときに、どのように対処するかです。沈黙を保ち続けるか、それとも自分から語りかけはじめるかどうかです。人によって沈黙に耐えられる人と耐えられない人がいます。耐えられない場合つい発言して、今までの会話の流れが途絶えてしまいます。

 何気ない会話であればそれでもよいのですが、しかし自分の思いを率直に語り合っている場合は「沈黙」の時をどのようにもつかによって、その後の会話の仕方が大きく違ってきます。特に、「カンセリング」の場合は、その後に大きく影響を及ぼすと言われています。「沈黙」を上手に用いればカンセリングが問題解決の糸口になることがあります。反対に上手に用いられない場合は、それまでの話し合いの意味が失われてしまうことになります。

 マックス・ピカ−ドという人の本に「沈黙の世界」があります。その本で「言葉は沈黙から来たり、ふたたび沈黙にかえる。あたかも沈黙の背後には絶対的なる言葉があって、人間の言葉は沈黙をとおってそこへと動いていくかのようである。」、「もしも、言葉に沈黙の背景がなければ、言葉は深さを失ってしまうであろう」等々のことを言っています。示唆に富む言葉です。「沈黙」は「絶対的な言葉」が、そこにあって、そのことが言葉の深さ、つまり会話の内容が富んでいることになるのです。

 聖書に「神よ、沈黙しないでください。黙していないでください。静まっていないでください。」(詩編83編2節)とあります。窮地に追い込まれた人が神様に「何とかして欲しい」と救いを求めています。しかし、神様は沈黙しています。神様の沈黙は人間に何が問題かを悟らせるためなのです。キリスト教の神様は饒舌な神様ではありません。沈黙をする神様です。

 「沈黙」は大切なことを導き出す「時」なのです。「沈黙」の中で神様の言葉と人の言葉を聞きたい。そのことが結果として生きる力をもたらすのです。「沈黙」を大切に。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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