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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

人生の扉

2013/10 人生程々に、でいいのか
 諺に「過ぎたるは猶及ばざるが如し」があります。辞書には「物事は、度を過ぎてしまっては、足りないのと同じである。程々がよい」(日本語大辞典)とありました。度を過ぎることでいいこともあります。しかし、そうでないこともあります。

 先日、右足の踵部分に痛みが起こり、翌日は痛みが増し、歩きづらくなりました。医師に診てもらいました。結果はアキレス腱が炎症を起こしている、とのことです。理由は、すぐに分かりました。38年間、早朝にジョギングをしてきました。夏の暑い日も、冬の寒い日も週3回乃至4回5,6キロ走ってきました。辛いということはあってもやめようと思ったことはありません。むしろ楽しんで走ってきました。そのこともあり70才近くなっても高校時代の体重を維持することが出来ました。しかし、そのようなことが結果として踵に負担をかけ痛みになったのです。確かに、無理をしていたことは事実ですし、走らなければと言う思いがありました。その無理が度を越していたのです。

 自分の好きなことや責任を負わされたことで、ついつい熱心になり度を越してしまうことがあります。それが体に負担をかけ病気になったり、時には精神的な病に発展しまうことがあります。人はなかなか「程々に」が出来ないようです。むしろ「程々にする」ことが罪悪感になることもあります。真面目であればある程、そのような傾向が強いようです。

 今回の出来事を経験して「程々」の大切さと歩くことの出来るありがたさを痛感しました。足に異常のない時には歩くことが出来るのは当然と思っています。しかし、何あると当然ではなくなるのです。何でも「当たり前」と思ってはいけない、今出来ていることが、今日か明日にも出来なくなることもあります。

 わたしたちの人生、「あれもこれも」と何でも満足するように出来るわけではありません。その意味で「程々に」が大切なようです。しかし、すべてを「程々に」では困ります。「ここぞ」と思ったことは何が何でもしなければならないのです。その意気込みが必要なのです。この意気込みが生きる力となります。そしてまた、「当たり前、当然」と思うことも危険です。今ある現状をきちんと認識して、時には感謝することも必要です。それが生きることでの謙虚さをもたらすのです。

 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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