本文へスキップ

日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

電話でのご相談・お問い合わせはTEL.047-345-1059

〒270-0034 千葉県松戸市新松戸2-169

コラムcolumn

人生の扉

2016/04 人生の薬味

 以前「友達は疑いもなく人生の薬味である」と言う言葉を聞いたことがあります。なかなかよいことばだったので今も記憶に残っています。親しい友達の言葉は励ましにも、慰めにもなり、時には叱咤激励してくれる、本当にありがたいことです。そのような友達が一人いれば、その人の生き方は違ってきます。

 「薬味」は広辞苑によりますと「食物に添えて風味を増し食欲をそそる香辛料」とありました。ショウガ、七味唐辛子、わさび、ねぎがそれにあたります。薬味は風味を添えるだけではなく毒消しにもなります。しかし、薬味は「味」を作り出すことは出来ません。味を作り出す基本は「出し」です。その味も鰹節なのか化学調味料なのかによっても違ってきます。そこに風味が出てきます。

 日本人は「ざる」とか「もり」と言ったお蕎麦を日常的に食べます。筆者もお蕎麦は大好物でお昼はお蕎麦を食べます。お蕎麦には汁がありますが、その蕎麦に薬味を入れます。薬味としての七味唐辛子、わさびやねぎを加えることによって味が違ってきます。つまり薬味はが持っている味を引き出し、また味を添える役割があります。そのために大量に用いては、かえって味わいを帳消しにしてしまいます。お蕎麦でわさびをたくさん入れたら辛くなるだけで味わいはなくなります。上品な味わいとしての風味は出てきません。

 人生を料理に譬えると、自分自身の人生をどのように料理として作っていくかです。素材は自分自身です。味を出すための薬味を何にするか、そして、どのような風味を醸し出すのかが問題です。

 人生の薬味を神様と主イエスのことばと祈りいうことで考えてみました。神様と主イエスのことばとしての聖書を土台として、それを信じる信仰、さらに神様に語りかける祈り、それがキリスト教の信仰を形づくります。神様と主イエスのことばを基礎にして、それを具体化するために祈る祈り、それが薬味です。薬味としての祈りは神様と主イエスが、わたしたちに語ってくれた言葉を具体化させてくれる、そこにその人しか持ち得ない信仰生活が現れ、その人の人生の風味になります。まさに人生の味です。その意味で人生には薬味も風味がなければなりません。問題は人生の風味をどのように出すかです。

 主イエスの弟子にペトロがいます。彼はガリラヤ湖で漁師をしていました。主イエスから「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われ、それ以降主イエスに従いました。彼の人間性は、どちらかというとおしとよしで、おっちょこちょいのところがあります。その点で親しみやすい。神様と主イエスのことばは彼にとって薬味ですが、同時に薬味によって形成された信仰には彼しか持ち得ない風味としての素直な人間性があらわています。

 それに対してイスラエルの人たち、とりわけ律法学者、ファリサイ派、長老、祭司と言った人たちは預言者の言葉を聞かなかったのです。主イエスのことばも真剣に聞こうとしませんでした。薬味を失っていたのです。そこに彼らの人生の風味も失うことになり、神様を信じることを形骸化してしまったのです。そのことが主イエスを十字架につけることになっていったのです。主イエスの十字架と復活の出来事を信じる信仰は、わたしたちの人生の薬味であり、それによって人生の風味が出てきます。味わいのある人生を送ること出来るようになることを覚えたいと思います。

 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


日本キリスト教団 新松戸幸谷教会新松戸幸谷教会

〒270-0034
千葉県松戸市新松戸2-169
TEL 047-345-1059
FAX 047-345-2735