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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

飢えについて 「食」の問題について真剣に考えなければならないとき
 輸入の穀物等の値上がりにより食料品も連動して値上がりしました。さらに、気候の変動により農産物の生産にも影響が出てきました。

 日本における食糧についてですが2007年度のお米の生産量は870万5000tで、国民一人あたりの1年のお米の消費量は61,4kgです。また、食糧自給率は40パ−セント、農産物輸入額は396億ドルで、日本円に直すと1ドルを100円と計算して3兆9600億円です。くだものの国内生産量は40万トン、輸入量は40万トン、魚介類の国内生産量は60万トン、輸入量は60万トン、野菜の国内生産量は150万トン、輸入量は20万トンです。

 以上がインタ−ネットで調べたことです。日本は所謂飢餓状態にあるとは言えません。むしろ一時期「飽食の時代」と言われたことがあります。しかし、食料はあると言っても、デ−タ−で示しましたようにお米と野菜は何とか自給は出来ますが、後は輸入に頼っているのが現状です。その点で食料を無駄にすることは出来ません。因みに、世界の人口は65億人ですが、飢餓状態の人口は8億5000万人です。一クラス20人として、その内2〜3人は飢え死にしそうな状態にあるとのことです。

 聖書においても餓えのことは書かれています。その代表的なのは創世記42章にあるエジプトのファラオが夢を見て、それをヨセフが解き明かしました。それは豊作の後に餓えが来ると言うことでしたが、実際に飢饉が襲ってきました。ヨセフ一家はエジプトに食料を求めて買い出しにいき、やがてエジプトに住まうようになるのです。そして、後に出エジプトして神様が約束した「乳と密の流れる地カナン」に住まうようになりました。

 それではカナンの地が豊かで食べ物に困らなかったのかと言いますと、決してそうではありません。ルカによる福音書15章11節以下に「放蕩息子」のたとえがあります。放蕩に身を崩した人が住んでいたところに「飢饉」が襲い、飢え死にしそうになりました。そこでお父さんの元に帰る決意をするのです。元の言葉はまさに「飢餓」です。それとルカによる福音書6章21節に「今飢えている人々は幸いである」とありますが、「飢える」の元の言葉は食べ物が十分ではない、お腹が空いている、そのようなことなのです。「飢える」は旧約聖書では幾つかの言葉が使われていますが、多くは「お腹が空く」という言葉が使われています。旧約聖書の時代から主イエスの時代まで餓えはあったのです。餓えは主イエスを含めた人々の死活の問題でした。

 日本はかっての戦争で食料不足を経験しました。わたしもそのことを鮮明に覚えています。食料自給率40パ−セントの現実を踏まえて「食」の問題について真剣に考えなければならない時が来ているように思えてなりません。

 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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