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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

白髪になるまで 人生上の問題を自分ひとりで背負い込んでしまうところに原因があるのでは
 若いときには「老いる日まで」とか「白髪になるまで」とかは考えもしませんでした。限りなく上昇気分で「やるぞ」という思いで一杯でした。
 
そのような中今でも忘れないことばがあります。30歳代の時に二つの老人施設に関わっていました。一つは有料老人ホ−ムで環境はとてもよい施設でした。もう一つは特別養護老人ホ−ムでした。前者の老人ホ−ムに牧師を隠退した先生夫妻とその子どもが入居しました。ある集会で、その先生はイザヤ46章4節を用いて「今日の朝、このように起きることが出来たことは、とても感謝です。年を取ると朝目覚めることが出来るのかどうかが、とても不安です。今日の一日を感謝して過ごします」というような趣旨のことを発言していました。なぜか、30歳代中頃のわたしに強く印象に残りました。老いると言うことはこのようなことなのかを教えられました。

 イザヤ46章4節に「わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」とあります。元の言葉を「わたしはあなたたちの老いるまで、そして白髪になるまで、わたしがわたしが背負う、わたしがわたしが造った、そしてわたしがわたしが荷になう、そしてわたしがわたしが背負う、そしてわたしが救う」と訳してみました。「わたしが」が5回出てきています。動詞の人称をあわせると10回です。「わたしがわたしが」と言うことによって強調しているのです。神様が私達を造ってくれた、だから神様が「わたしが」と言うことで「白髪になるまで、担い、背負い、救い出す」と言うのです。「担う」ですが、これは「荷物」と訳せます。神様は人間の精神的な重荷、人生上の重荷、肉体上の重荷、それを担い、荷物として背負ってくれて、持ち運んでくれるのです。その場合に神様は「わたしが、わたしが」と言ってくれるのです。これはすごい迫力です。わたしはこのことに深い感動を覚えました。

 ところで日々、生活していますと人生上の問題がいろいろと起こります。そのために苦しんだり、悩んだりしては不平不満を言い、どうしてこのような苦しみ、悩みが自分に襲ってくるのだろうかと悶々とした日々を送ります。なぜ、そのようになるのかといいますと人生上の問題を自分一人で背負い込んでしまうところに原因があるのではないか、そのように思いました。人生上の問題は、確かに自分で解決しなければなりません。でも、人間には背負える限度があります。それを越えると絶えきれなくなるのです。そうではなく神様が背負ってくれる、そのことに委ねたいと思うのです。イエス・キリストも「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ12章28節)と言っているのですから。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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