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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

さまざまな道に立って 幸いに至る道
 旧約聖書にエレミヤ書があります。エレミヤはアナトトの出身で、南王国ユダで預言者として活動しました。預言者として召命を受けたのは紀元前627年頃で、それ以降活動しました。エレミヤが預言者として活動した南王国ユダは危機的な状況の中にありました。それは北王国イスラエルを滅ぼしたアッシリアの力が衰え、それに変わってバビロニアが勢力を増してきました。一方ではエジプトの威嚇もあります。その中でヨシヤ王がエレサレム神殿を修復したときに申命記を発見して宗教改革を断行しました。エレミヤはその改革を支持しました。それでも人々の宗教的堕落はやむことはありませんでした。

 エレミヤは6章16節で「主はこう言われる。『さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ/どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。』」と人々に語りました。ここを口語訳聖書は「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。」と訳しています。新共同訳の「さまざまな道」を口語訳では「わかれ道に立って」と訳し、新改訳聖書は「四つ辻に立って」と訳しています。口語訳の「わかれ道」は二つ以上にわかれることを指します。しかし、多くの場合例えば「あの時が人生のわかれ道だった」とか「あの時が生きるか死ぬかのわかれ道であった」といいます。この場合には二つのわかれ道を指します。

 ここをどのように理解したらよいのでしょうか。今、南王国ユダは生き延びるか滅びるかの状況にある、つまり聖書の神様を信じるか、それとも他の神々を信じるかの二つの道です。その時に「昔からの道」あるいは「いにしえの道」を思い起こす必要があります。それでは「昔からの道」、「いにしえの道」とはどのような道でしょうか。考えますに、それはアブラハムの道、イサクの道、ヤコブの道、モ−セの道、ヨシュアの道、ダビデの道等です。そのような中で「幸いに至る道、と。その道を歩む」、「良い道がどれかを尋ねて、その道に歩む」ことをいうのです。「幸いの道」、「良い道」は単数です。それは神様を信じる道を指します。

 「道」は「旅路」とも訳せます。先程もいいましたように、この道はアブラム、イサク、ヤコブ、モ−セ等が歩んだ人生の旅路です。「昔」という言葉は「永遠」とも訳せます。それは彼らの信仰が永遠に至る人生の旅道だったのです。もちろん彼らの人生にも失敗はありました。そのようなものを含めて信仰の先達者達のさまざまな生き方即ち信仰を持って生きた道に立って問いかける、そこに「幸いに至る道」がある、「幸い」という言葉は「よい、楽しい」とも訳せます。信仰の先達者たちの生きかたに問いかけてみれば、そこに「よくて楽しいて道」がある、それこそが「魂の安らぎになるのだ」ということで、わたしはこの箇所を理解しました。人生は旅路であり、何時も岐路に立っています。信仰の道を歩むことによってよい、そして楽しく生きることが出来るようになるのです。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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