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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

2014/04  自然の持つ力と人間の無力
東日本大震災が起こってから4年が経過しました。愛する人や家を失った人の心の傷は今だ癒やされてはいませんし悲しみを持ったまま生活をしています。
地震が起こってから何人かの牧師とボランティアとして奉仕しました。2011年6月29日からですが場所は釜石教会が被災したことから釜石に行きました。その後原発事故で放射能で汚染されたことから福島にある児童養護施設の除染の奉仕活動にも参加しました。その中でつくづく思ったのは地震と津波の恐ろしさです。この二つが起こることによって人を寄せ付けぬ甚大な被害をもたらすのです。

日本は四方海に囲まれ、列島の真ん中を山々が連なっています。その関係で地震、台風等風水害に常に脅かされています。これは避けることは出来ません。地震や風水害による被害は、これからも続くことでしょう。そのことを考えますと人間は自然の持つ力には全く無力であることがわかります。

しかし、考えてみますと、このようなことは日本ばかりではありません。世界の中で至るところで起こっています。そのことは聖書が証明しています。典型的な例が創世記6〜8章の「洪水」の物語です。四十日四十夜雨が降りノアの家族と選ばれた動物だけが生き延びました。エゼキエル書13章1節に「豪雨が襲えば雹よ、お前たちも石のように落ちてくるし、暴風も突如として起こる」とあります。ヨナ書ではヨナが神様からニネベに行くことを勧められるのですが、背いてタルシシュに逃げていきます。神様は、そのことで「主は大風を海に放たれたので、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりになった」と記してあります。

イザヤ書29章6節に「万軍の主によってお前は顧みられる。雷鳴、地震、大音響と共につむじ風、嵐、焼き尽くす炎のうちに」とあります。ヨブ記1章19節に「荒れ野の方から大風が吹いてきて四方から吹きつけ家は倒れ」とあります。旧約聖書の場合多くは自然界の出来事を通して神様の裁き乃至は神様の顕現と言った神様の意思を顕しています。

新約聖書ではマタイによる福音書7章24節以下で主イエスは「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった」と言っています。パウロは使徒としての労苦としてコリントの信徒への手紙U 11章25節以下で「難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。川の難」とあります。このように自然界の出来事は聖書の中であちらこちらに見ることが出来ます。

ところで今回の東日本大震災ですが、起こったときに神様の裁きだと思った人たちがいたようです。わたしはそうは思いません。日本列島は幾つかの岩盤によって成り立っています。一つの岩盤が、もう一つの岩盤に潜り込んでいく、そのときにストレスが起こり、それが最大限に達したときにたまったエネルギ−を放出する、それが地震となる、このような説明がなされています。
被災した方々は苦しみ、悲しみの日々ですが、その方々を覚えて冷静に受け止め、自分のなし得ることを果たしていく自覚が必要なのです。
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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