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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

2014/04  神様を喜ばす 「悔い改める」とは
 主イエスが何を語り、どのような考えをもっていたのかは福音書を読むことによって理解することが出来ます。特に、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書と言った共観福音を読めばわかります。この三つの福音書の中でマルコによる福音書が一番古く、マタイによる福音書、ルカによる福音書はマルコによる福音書を土台にしてマタイやルカが独自にもっている資料を加えながら書きました。

 ルカによる福音書15章ですが、この章は「見失った羊のたとえ」、「無くした銀貨のたとえ」、「放蕩息子のたとえ」によって構成されています。「見失った羊のたとえ」はマタイによる福音書18章12〜14節に「迷い出た羊のたとえ」という表題で記してありますが、ルカとマタイでは場の設定が違います。ルカでは「見失った羊のたとえ」は徴税人や罪人が話を聞こうとして主イエスに近寄って来た時に、ファリサイ派や律法学者たちが主イエスに対して「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしていると不平を言い出した」。そこで主イエスが見失った羊のたとえを語りました。「無くした銀貨のたとえ」、「放蕩息子のたとえ」はマタイ、マルコの両福音書にはありません。この二つの話はルカが独自に持っていた資料を、このところで記載したことになります。

 ルカによる福音15章の三つのたとえを見ると「見つける」という言葉が記されています。「見失った羊のたとえ」では5節に、「無くした銀貨のたとえ」では9節に、「放蕩息子のたとえ」では20節にあります。それと「見つける」は「見失う」、「無くす」、「いなくなる」が前提になっています。「見失った羊のたとえ」では「見失う」は4節、「無くした銀貨のたとえ」では「無くす」は8節、「放蕩息子のたとえ」では「いなくなる」は24節に記してあります。

 このように「見失う」、「無くす」、「いなくなった」ものが「見つかる」ことによって「喜ぶ」のです。「見失った羊のたとえのたとえ」では5節と6節、「無くした銀貨のたとえ」では9節、10節に、「放蕩息子のたとえ」では32節に記してあります。

 このようなことから主イエスは「悔い改める」ことの必要性を語りました。つまり、一人でも多くの人が「悔い改めて」神様のもとに帰ってくることは神様が一番喜ばれることである、これがルカによる福音書15章で強調されているのです。そのために「捜し回る」、あるいは「捜す」のです。「見失った羊のたとえ」では4節、「無くした銀貨のたとえ」では8節に記してあります。「放蕩息子」の話では「捜す」という言葉はありませんが、家を出て行った子どもが帰ってきた喜びを見ると、父親として心配していた様子がよく分かります。

 神様は神様の元に人間が悔い改めて戻ってくることを求めています。このことはまた同時に、人間を捜し求める神様の姿をあらわしているのです。問題は人間です。そのことを無視しているか、知らないふりをしているのです。でも神様は忍耐を持って待ち続けているのです。ある注解書に「パリサイ人はなくしたもの、いなくなったものを見いだし、そのことを喜ぶような神を考えたことはなかった。あるユダヤ人の学者は、イエスが神をこんな風に教えているのは全く新しいことだと認めている。自分から罪人を捜し求めて彷徨するという神の像はユダヤ人の思いも呼ばぬものだった」と書いてありました。

 悔い改めて洗礼を受けることはキリスト教では基本的なことです。何を悔い改めるのかというと神様から離れた生活をしていたと言うことでの罪を悔い改めて、そてし、神様を信じ、イエスをキリストと告白して生活する、それを約束するということです。イエス・キリストの第一声はマルコによる福音書1章15節によりますと神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」です。使徒言行録3章19節に「自分の罪が消し去られるように悔い改めて立ち返りなさい」とあります。「悔い改める」の元の言葉は辞書によりますと「変化」という言葉と「理解する」という言葉が結びついています。そこから「心を変える」、「悔い改める」という意味になりました。

 イエス・キリストが語った福音を信じる、そこに立ち返ることが神様が一番喜ばれることです。自分を喜ばせても、人を喜ばせても、それは一過性のものであって、それはすぐに過去のものになります。そして喜ぶことの欲求は高くなっていきます。

 神様を喜ばすためには自分の心を変えなくてはなりません。自分の心を変えると言うことは生き方を変えると言うことです。人生、そのものを変えることです。そのことによってよりよい人生を送ることが出来るのです。悔い改めは、このような意味を持っているのです。

 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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