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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

2016/01  聖書における楽器
 キリスト教と音楽は密接な関係を持っています。教会にはパイプオルガンやリ−ドオルガン、電子オルガンがあり、礼拝やミサでは讃美歌や感謝の歌を歌います。また、教会によっては聖歌隊があります。その点でキリスト教の歴史は音楽の歴史でもあります。
 キリスト教の信仰に音楽が伴う、その根拠は聖書にあります。「新聖書大辞典」の「音楽と楽器」の項で「捕囚後シナゴグにおける音楽も,神殿における音楽と同様楽譜はない、シナゴグには歌唱指揮者がいて声楽による礼拝音楽があって詩編やモ−セ五書その他の歌唱が神殿から引き継がれていました。それがやがて初期キリスト教音楽に成長していった」とあります。

 筆者は日本の古典楽器である箏を数年前より習っていたこともあり箏について調べてみました。日本の箏は奈良時代に唐から渡来したとのことです。(「箏と琴」は違う楽器と言われているようですが聖書は「琴」とありますので,そのまま記します。)

 聖書の楽器について東北学院大学宗教研究所の「紀要」第11号(2007年)に佐々木哲夫先生が「旧約聖書の楽器ネベル−琴か竪琴か」という題で大変興味深いことを書いてありました。それによると「ヘブライ語のネベルは旧約聖書に27回記載されている、新共同訳は、この言葉を主に『琴』と訳している、ただし二箇所(アモス5:23,6:5)において『竪琴』と訳している、27回のネベルの用例のうち23回は、キンノ−ル『竪琴』と共に記載されているが、この『琴』」という日本語は、中国から伝来した七弦琴、もしくは、日本の琴のような古楽器を連相させる言葉であり、他方『竪琴』は小型のハ−プ、例えば、キタラやリラを連相させる言葉である、ネベルとキンノ−ルが併記されていることは二つの楽器が異なる名称呼ばれるにふさわしい違いを有していたことと区別可能な音色を持っていたことを想像させる」と記してありました。

 また材質については列王記上10章12節の「王はその白檀で主の神殿と王宮の欄干や、詠唱者のための竪琴や琴を作った。このような白檀がもたらされたことはなく、今日までだれもそのようなことを見た者はなかった」とありますが、白檀で作られていたこと、列王紀上10章11節に「オフィルから金を積んできたヒラムの船団は、オフィルから極めて大量の白檀や宝石も運んできた」とあります。オフィルとまた、歴代誌下2章7節に「レバノンからレバノン杉、糸杉、白檀の木材を送ってくだい。」とありますようにレバノンに輸入されたものがエルサレムにもたらされたことを指摘しています。

 ところでイスラエルの王ダビデは竪琴の名手でした。サムエル記上16章23節に「神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルの心は安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた」とあります。「良い」はヘブライ語ではト−ブですが、この意味はサウロはダビデが弾く竪琴の演奏を聴いて心安らかになり、気持ち的にリラックスした、そのようなことです。人をして、このように人の気持ちをト−ブにさせるということは、それだけダビデが竪琴の上手だったのです。

 その他の楽器として歴代誌上13章8節に「ダビデはすべてのイスラエル人は、神の御前で力を込めて、歌をうたい、竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でた」とあります。サムエル記下6章5節に「ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で、糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた」とあります。まとめますと竪琴、琴、糸杉の楽器、太鼓、シンバル、鈴、ラッパ」となります。弦楽器、打楽器、金管楽器で、かなり音の出る楽器で演奏されたのです。サムエル記下6章5節は新改訳聖書には「ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った」と訳しています。口語訳は「ダビデとイスラエルの全家は琴と立琴と手鼓と鈴とシンバルをもって歌をうたい、力きわめて、主の前に踊った」と訳しています。新共同訳の「太鼓」は新改訳では「タンバリン」と訳し、口語訳は「手鼓」と訳しています。新共同訳の「鈴」は新改訳では「カスタネット」で、口語訳は「鈴」です。新共同訳で「鈴」と訳している言葉は、元の言葉の辞書には「がらがらなる楽器」、シンバルは「ぶんぶん鳴る楽器」とありました。「がらがら、ぶんぶん」がどんな音だか分かりませんが、かなり騒々しい演奏がなされていたようです。

 詩編144編9節に「神よ、あなたに向かって新しい歌をうたい、十弦の琴をもってほめ歌を歌います。」とあります。ここでの「琴」は「ネベル」です。直訳しますと「神よ、わたしはあなたに向かって新しい歌を歌います。十絃のネベル、琴であなたに向かって賛美します。」と言うことです。ここで歌なのですが、最初の歌は一般的なことばで「歌を歌う」、シ−ルといいますが、この言葉が用いられています。直訳の「賛美する」は「ゾマ−ル」で「楽器をかなでる」という意味があります。つまり神殿かなにかで神様を賛美する新しい歌を歌う、この新しい歌は「神様の新しい奇跡の業を賛美する賛歌」(岩波訳 詩編33編3節の注 P63)で、詩編に6回でてきています。この歌を歌う場合は楽器を奏でながら歌った、と言うことです。

 ユダヤ教では神殿等で、このように楽器を用いて礼拝がなされていました。イエス・キリストは、当然小さい時からこのような音楽を聞きながら生活していました。マタイによる福音書11章17節に「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌を歌ったのに、悲しんでくれなかった」とあります。この箇所はイエスがバプテスマのヨハネを紹介しているところです。ここからイエスがユダヤ教を信じる人たちが、日々の生活の中で、どのように神様を賛美していたのかをうかがい知ることが出来ます。1コリントの信徒への手紙14章7節以下に「笛であれ、竪琴であれ、命のない楽器も、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうしてわかるでしょうか。ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか」とあります。パウロも小さい時からユダヤ教徒として神様を賛美する音楽を聞いていたのです。

 今日、礼拝ではオルガンの伴奏にあわせて讃美歌を歌うことによって神様を賛美しています。しかし、聖書では多様な楽器を用い、多様な仕方で賛美しています。賛美の仕方を、一元的ではなく、もう少し工夫してもいいのではないか、そのように思いました
 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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