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日本キリスト教団 新松戸幸谷教会

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コラムcolumn

学びの窓

2018/12  人生の調音

 先日、教会主催の「クリスマス・コンサ−ト」が行われました。バイオリンとチェロのアンサンブルの演奏です。聞いていて気づいたことがあります。
 演奏者は演奏前に調音を念入りに行いました。前半の演奏後休憩時間となり後半の演奏になった時です。チェロの音が違うことに気がついた演奏者は合わせ直しました。休憩の時に温度の低い部屋に置いておき、温かい演奏の部屋にチェロを入れたことから音がずれたと言っていました。

 これを見て人生を思いました。キリスト教徒は日曜日に礼拝を守ります。礼拝はわたしたちの人生の調音です。讃美歌を歌い、祈り、聖書を読む、御言葉を聞くことによって一週間生活してきたことから生き方の調整をする、そして新たな一週間を生きていく決意をする。そのために礼拝を守って人生の調音していくのです。

 ヨハネによる福音書12章1節以下に「ベタニアで香油を注がれる」と題しての出来事が記されています。ベタニアでマリアから香油を塗られた出来事の翌日、つまり過越祭の5日前にイエス・キリストはエルサレムに行きました。
 その時に人々はなつめやしの枝を持って出迎えました。なつめやしの木はイスラエルにはたくさんあります。その実も食べられます。しかし、エルサレムにはなつめやしは少ないと聞きました。それだけにイエス・キリストがエルサレムに入場するときに、どこからなつめやしの枝を持ってきたかが問題となりますが、それははっきりしていません。
 なぜ、なつめやしなのかと言うとなつめやしは「勝利の王」を意味すると言われています。だから「祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、ナツメヤシの枝を持って迎えに出た」のです。
 群衆はイエスを勝利の王として迎えたのです。この群衆は、どのような群衆かというと17〜18節で「イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである」とあります。
 つまり、マルタ、マリアの兄弟ラザロをよみがえらせた、それを見ていた人達が、そのことを言い歩いた、人が人を呼んだのです。今日で言う「口コミ」です。
 ですから、この群衆はラザロをよみがえらせた人達と、その人からイエスのことを聞いた人達から成り立っていたことになるのです。なつめやしの枝を持って迎えた人達は、そのような人達だったのです。

 その人達が「ホサナ」と言いました。ホサナについて詩編118編25節に「どうか主よ、わたしたちに救いを」とありますが、ここは「あ−主よ、どうかわたしを救ってください。さ−どうかわたしを栄させてください」と訳せます。
 ホサナは元の言葉でホシア−で「救い」を意味します。つまり「わたしを救ってください」と言うことになります。さらに人々は「主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」と言いました。「イエス・キリストよ、わたしたちを救ってください。救いをもたらすために来たイスラエルの王に祝福があるように」と言うことになるでしょう。このように群衆は勝利の印としてのなつめやしの枝を持って主イエスをエルサレムに迎えたのです。

 ところが、群衆は舌先も渇かない内に、手のひらを返したようにイエス・キリストが捕らえられると十字架につける側にまわるのです。人間というものは、このようなもののようです。。
 わたしたちの日常の生活の中にも、この群衆のような態度をとっているのですし、また人からもされているのです。問題は人から、そうされると甚だしく怒りますが、現実は自分だってしているのです。
 ですから、人に期待しない方がいいのです。特に、世話をした人から裏切られるようなことをされた場合「こんなに世話をしたのに」とか「面倒見たのに」と言いがちです。その人に「した」と言う思いがあり「自分の言うこと、することはわかってもらえる」と言う期待感があるからなのです。その期待感が裏切られたから怒りとなるのです。

 イエス・キリストは、そのような人間の現実を分かった上で、あえてエルサレムに行くときの群衆の歓喜を受け入れているのです。イエス・キリストがエルサレムに行ったとき、人々がなつめやしの枝をもって迎えた、それにもかかわらず捕まえられると十字架につける側にまわった、捕まった時に、人間に期待していたら「あのときはみんな歓喜して迎えたではないか、それなのにどうして」と言うでしょう。しかし、イエスはそのようなことは一言も言っていません。人間の現実が分かっていたのです。

 人間は手のひらを返したように,人を裏切ることがあります。あるいは人に対して「こんなに世話をし、面倒を見たのに」と言うことがあります。しかし、これが人間の現実です。クリスマスの出来事は、このような人間の現実を思い起こす時です。この時「ホサナ」「わたしを救ってください」と言って。自分の人生の調音を仕直したいと思います。

 新松戸幸谷教会牧師 吉田好里


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